第58弾:選手がみせた、その横顔 48

Inside the RICOH BlackRams

2012.09.26

異色の弁護士ラガーJCの活躍に注目。(ジャスティン コベニー)

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 今季から、チームに新加入した、通称 "JC"。

豪州で、弁護士をしながらラグビーリーグでプレーをした経験を持つ異色のラガーマンである。法律家ならではの理路整然としていながらウィットに富んだ、ユニークな経歴を話してくれた。

「リコーのチームメイトは皆、信じてくれないのですが、豪州では弁護士をしていました。クライアントからの相談を受け、法廷での仕事をしながら、ラグビーリーグの2部でプレー。子供の頃は、親がコンタクトスポーツを嫌ってなかなか許してくれませんでしたが、14才の時に親の反対を押し切ってラグビーをはじめ、ラグビーリーグでプレーをスタートしました。

ラグビーで学ぶことはなんといってもディシプリン(規律)。法律家としてさまざまなシーンで活きてきます。相手との駆け引きなど。また練習のドリルひとつとっても、ラグビーにはディシプリンが満ちていると思います」

JCは、その後フィリピン代表として15人制(ラグビーユニオン)にデビューすることとなる。

「2010年4月、フィリピンの代表監督から僕のFacebookにいきなりコンタクトがあってビックリ。フィリピンの代表選手としてプレーしないかと。母親がフィリピン籍でしたので、そのことをどこかで知ったのでしょう。いや、驚きました(笑)

それで色々考えて、監督のもとにいってみることにしたのですが、15人制はプレーしたことがなかったので、ラックなどわからないことが多くて・・・。でもシンプルに考えました。ボールを持って走って、相手の守備を引き裂くのは同じことだと。そんな感じで軽く考えていたら、いきなり最初のゲーム出場が代表戦(笑)。インドでのタイとの試合でした」

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 ここで本格的にラグビーに取組むことを決意したJC。2011年に弁護士の仕事を一時休業し、ラグビーに専念したという。

「僕の最初のトライは代表戦で、2011年の15人制フィリピン代表対韓国戦でした。1試合で4トライをあげました。また、フィリピンセブンス代表チームでの初トライは香港セブンスであげました(2012年3月23日カナダ戦)。この頃、僕はフィリピン7人制、15人制の代表選手として、豪州との往復を繰り返しながらプレーしていました」

ラグビーをすることに反対だった母親はいま、母国の代表選手としてプレーする彼をどう思っているのだろう?
「今でも僕がボールを持つと目を手で覆い隠しているらしいです。息子が、怪我をする場面を目にするのが嫌なんですね。でも兄弟は、僕のキャリアを応援してくれています。年が離れた長兄デビッド、次兄ギャリー、そして妹のジャミールの4人兄弟。次兄のギャリーは今度、日本に遊びに来てくれます。彼の仕事ですか?兄は僕より優秀で、バリスター(法廷弁護士)です」

弁護士というステータスのある職種に就きながらも、ラグビーの魅力に取りつかれたJCは2012年、日本行きを決意することになる。

「フィリピン代表コーチから、(日本の)トップリーグのアジア枠の情報をもらいました。これは自分のキャリアを伸ばすチャンスだと思い、自分のプレー映像のビデオクリップを用意して各チームに送ってみたところ、リコーともう1チームが興味を持ってくれました。

2011年12月、日本に初めて来日。興味を持ってくれたチームと、リコーで練習に参加しました。いま、こうしてリコーと契約ができ、ラグビーに専念できる環境にとても感謝しています」
まだ本格的な15人制ラグビー経験は2年ほどしかなく、発展途上の段階にあると自負するJC。最後に愛するブラックラムズファンへのメッセージをもらった。
「いつも応援ありがとうございます。砧グラウンドでの試合時や夏季の網走合宿はじめ、必ずファンの皆さんがいて大きな声で応援してくれます。これが私の力となり、よいプレーに繋がっています。
いま、時間を大切にするように心掛けています。日本でのさまざまな出来事(ラグビーが中心)を貪欲に吸収しています。よりよいプレーヤーになれるよう精進していますので引き続き、ご声援をよろしくお願いします!」

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 インテリジェンスをもったラガーマン。
日々の激しい練習に対し、真摯に取組む姿勢。
リコーラグビーに、科学反応を起こすことは間違いないだろう。

爽やかな好青年という印象を持ったJC。
声援を送り続けて欲しい。

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