第40弾:選手がみせた、その横顔 30

Inside the RICOH BlackRams

2012.05.11

 リコーブラックラムズ(リコーラグビー部)を支える選手たちの、ラガーマンとしての思いや、これまでのキャリアに関するエピソードをご紹介します。リコーというラグビーチームは、彼らの個性と歩んできた道程、積みあげてきた経験が混ざりあって、今の姿があります。

今オフは、ずっと
はやくラグビーがしたかった(相 紘二)

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「ミスをしたときなどは、一度ラグビーのことを忘れて、頭を切り替えるタイプ。シーズンオフも、しっかり休んで、集中力を取り戻すようにしてきました。でも、今回のオフは違う。ずっとラグビーが頭にありました。コンディションもキープして、はやくラグビーがしたいという気持ちで一杯でした」

オフの期間が短かったこともある。だが、何より5年目のシーズンにかける相 紘二の強い思いが、そうした変化の理由だろう。

「昨シーズン、自分たちの世代のメンバーの多くは『このままじゃだめ』『何かを変えよう』という気持ちでプレーしていました。そうしてチャンスをつかんでいきました。昨年8月の北海道・網走合宿のゲームで、ホワイトチームのキャプテンを務めたりするなかで、引っ張ってもらう立場から、自分自身がチームのみんなを引っ張っていく立場にならなければいけないと思っていました」

チームでの愛称は"ジュニア"。
チームの先輩で4才上の兄でもある相亮太の弟ということで、入部以来そう呼ばれてきた。兄と同じく、ラグビーを始めたのは地元浦和のラグビースクールで、始めた年齢も5才とほぼ同じ。「練習を観に行ったらお前もやれと言われて」。スクールには中学卒業まで通い、高校は大東一高へ。兄の背中を追った。大学では道を変え、兄の進んだ系列の大東文化大学ではなく、流通経済大学へ進学した。

2人とも穏やかな性格。歳が少し開いていることもあり「やさしい兄」と「兄を信頼する弟」という仲良さげな兄弟に映るが、意外にも昔はあまり話さなかった。「重なって在籍する期間はなかったけれど、やっぱり先輩と後輩という関係。特に自分が中学生のときは、兄は練習ですごく忙しくて顔をあわせる機会もあまりなかった。兄と違う大学に行ったのは周囲の方の助言をいただいたから」。

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 助言とは「一度、弟という立場を離れてみるのもいいのでは」というもの。それを受け入れ相は流経大で4年間を過ごした。しかし運命とは不思議なもので、大学卒業後、兄の在籍するリコーへの入社が決まった。再び、兄の背中を追うことになる。
「兄は、リコーのラグビーへの理解や将来的に仕事を続けることもできる点などを挙げ、入社を勧めてくれました」。

社会人になって、兄弟の関係は少しずつ変わってきたという。

「2人で食事するようになったんですよね。試合の前後には厳しめのアドバイスをもらったりもするように。ラグビーのまじめな話は最初に終わらせて、その後は、ラグビーと関係の無い話をします(笑)。気持ちとしては、兄か先輩かといえば、やっぱり先輩です」

兄弟が比較されるのは世の常だ。日本代表候補にも選ばれ海外遠征にも参加した経験豊かな兄と比べられながら、自分のラグビーを追い求めてきた相の心中には、他者にはわからない葛藤もあったはず。前向きにとらえれば、弟という誰よりも近い立場で、経験や知識を分けてもらえる環境ほど恵まれた立場は無い。相が意識する"リーダーシップ"についても、常にチームのことを考え続けてきた兄の姿から学んだことは多いことだろう。

4年間のプレーを経て、入社当初は差を感じた社会人のラグビーへの適応もできた。もともとはアタックが好きだったが、社会人レベルでは、まずはベースとなるディフェンス力を求められた。長所を伸ばすことよりも、短所を補うことに集中した4年間だった。

「山品(博嗣)監督は、アタックについても評価してくれるので自分としてはうれしい。昨シーズン、(マア・)ノヌーのアタックなどを目の前で見れたのはすごく勉強になりました。ボールをもらう前の動きなどは、日本人とは違う発想。とても参考にできる部分が多かった」

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 試合前緊張することはほとんど無いのだという。「(本番に強い?)はい。楽しめるほうですね。どっちかといえば、こうやって話を聞かれたりするほうが緊張します(笑)」と、弟らしい性格ものぞかせる。あとは"本番"の機会をどれだけ得られるか。

5年目。"勝負の"と付け加えてもいいシーズン。
相 紘二には、春から全開でいく準備ができている。

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