第39弾:選手がみせた、その横顔 29
Inside the RICOH BlackRams
2012.04.27
リコーブラックラムズ(リコーラグビー部)を支える選手たちの、ラガーマンとしての思いや、これまでのキャリアに関するエピソードをご紹介します。リコーというラグビーチームは、彼らの個性と歩んできた道程、積みあげてきた経験が混ざりあって、今の姿があります。
大切なのは『自分の軸』と『柔軟性』
その両方を持つこと(中村正寿)
「いろいろ悩みましたね。今までがいい状況ばかりだったので。こういう経験……って。自分自身のことを考えさせられた1年だったかなと」
社会人1年目の率直な感想を――という質問に、中村正寿はゆっくりと言葉を選びながら話した。「言ってしまえば、高校1年からレギュラーで出してもらって。大学もそこまで強かったとはいえませんが、ゲームにはいつも出る楽しみはいつも感じることができていました」
当たり前になっていた試合に出てプレーするという楽しみは、社会人のレベルでは簡単に得られないということが身に染みた、というのが中村の率直な感想だ。
「そういう状況で成長できた部分? やっていくうちに見えてきたことはあって。でも、どの部分で成長した、と言えるレベルではないです。ただ、焦らず新しいチームに慣れるという目標もあって、その点では、これからのチャレンジのための土台づくりはできた1年だったかなと思います」
中村は他の選手の個性を知ってこそ、いいプレーができるスクラムハーフというポジションらしく、しっかりとチームを観察し続けた。中村にとってリコーは、どのように映ったのだろう。
「キャリアが豊富で尊敬できる先輩がたくさんいて、その先輩とも交流していける。むだな気を遣わず、必要なコミュニケーションがとれる。フレンドリーですよね。正直、入部直後は、誰が年上で誰が年下か、全然わかりませんでした(笑)。僕は、これはいい文化だと思います。気を遣いすぎて若手が何も言えなかったりするのはチームのためには良くないですし」
ラグビーをはじめたのは5才。友だちに誘われた兄がラグビースクールに入ったのがきっかけでグラウンドに足を運ぶようになり「いつのまにか自分も入れられていたというのが実感です」。スクールには中学を卒業するまで約10年間通った。
「練習に行くというよりも遊びに行くって感じでしたね。平日は学校で他のスポーツも出来ましたしね」。"ラグビー漬け"という感じではなかったようだ。
本気になったのは高校時代。
「勉強してなかったですからね。自分はラグビーで生きていく、のしあがるんだという気持ちでした。ラグビーをしなかったら自分は何がやりたいのか、何をして生きていくのかって考えると想像つかなくて。高校(東福岡高校)は強豪校だったので、皆が勝つことにこだわっていた。そこで勝つ楽しさを知ったというのは大きかったです」
その後、日本大学へ進学。伝統あるラグビー部に入部したが、当たり前のように全国制覇を目標としていた高校時代とは異なる環境だった。自分には、ラグビーしかないと考えていた中村にとって、目標が選手によってさまざまで、高校時代とは異なる環境でプレーすることに、当初はとまどいがあった。
「それでも、妥協せず自分は(自分の求めるラグビーはこうだと)言い続けました。でも、それができなかったとしても、人のせいにするのは違う。いくら注意していても、ボールが出ないものは出ない。どうにかしないといけない。3、4年生になった頃には"自分が、どうすればよいのか、もっといい方法があるのではないか"という考えに変わった」
小・中学校時代は、ひたすらラグビーを楽しんだ。高校時代はエリートぞろいの環境で、勝負にこだわる"尖った"ラグビーを経験。大学時代は、レベルの様々な選手が集まる環境で、チームにベストの状態をつくりだすべく、時には自らのスタイルを変化させる柔軟性を身につけた。様々なスタンスでラグビーと向かい合ってきた経験は、中村のラグビー観に奥深さを生んだことだろう。
「常に大切にしているのは『自分の軸』と『柔軟性』の両方を持つこと。いま試合に出ている先輩にあって、自分に無いものはそれだと思う。柔軟性のほうは、ラグビーに限ることではなくて、プライベートの人付き合いなどからも学べるもの。リコーに入社して、出会う人の数は大学時代に比べ格段に増えている。そうした方々とのコミュニケーションもラグビーに活かせると思います」
今シーズンの目標は「昨シーズンと同じような過ごし方にならないようにする」。少しでも前進し、「ラグビーで一番大事なポジションだと思っている」と誇りを持つスクラムハーフというポジションで、先輩の背中を追い続ける。