第34弾:選手がみせた、その横顔 24
Inside the RICOH BlackRams
2012.03.02
リコーブラックラムズ(リコーラグビー部)を支える選手たちの、ラガーマンとしての思いや、これまでのキャリアに関するエピソードをご紹介します。リコーというラグビーチームは、彼らの個性と歩んできた道程、積みあげてきた経験が混ざりあって、今の姿があります。
自分のプレー映像をDVDに焼き
目指した社会人でのプレー(塩山瑛大)
塩山瑛大は花園への挑戦を、強豪・東福岡高校に県大会決勝で敗れるという形で終えた。
「それで、燃え尽きたような感じになって。明治学院大学を選んだのは自分の意志です。同じ高校のラグビー部から進んだ同級生と『大学ではアメリカンフットボールをやろうか』なんて話していました」
ラグビーは終わりにしようかという思いもあったが、結局、関東大学ラグビー対抗戦Bに所属するラグビー部へ。1年生から試合に出ることができた。
「そうしたら、だんだん自分の中で熱が戻ってきたんです。もっと高いレベルを目指すべきだったのかなという後悔も出てきたのを覚えています。何より、せっかく大学時代をラグビーに費やすのだから、昇格を目指し真剣にやりたいという気持ちが強くなったんですよね」
塩山がそんな思いを抱き始めた頃、当時就任間もなかった土佐忠麿ヘッドコーチ(天理高校から明治大学を経て、NECグリーンロケッツでもプレー)による強化も成果を見せはじめ、チームは闘うための態勢を整えていく。
もっと熱く。昇格を目指す――塩山だけではなく、部員誰もがどこかに秘めていた思いを前面に出すようになった。4年生になった塩山はキャプテンに就いた。
この年、明治学院大学ラグビー部は快進撃で対抗戦Bで6連勝。最終戦の青山学院大学には敗れるが7勝1敗で2位となり、日本体育大学との入替戦に出場することとなった。
惜しくも昇格は果たせなかったが、再び点火されたラグビーへの情熱。大学時代はラグビー一色。この4年間で塩山は「その先」を目指すことを決意した。
「後悔したくないと思って。社会人でもラグビーをするために、セレクションを受けるチャンスを探しました。自分のプレーの映像をDVDに焼いて、ヘッドコーチ(土佐氏)を通じて、各トップリーグチームに渡してもらいました」
その後、リコーとの出会いが訪れる。
「明治学院大学から、トップリーグでプレーする選手はこれまで出ていないんです。だから、自分のレベルがわからない。強豪校と試合すると、公式戦に出場するメンバーから数えて4番目くらいのチームと闘っても、かなり厳しい試合になっていた。
だから、トップリーグで闘うリコーを受けたときの気持ちは『記念受験』(笑)。ゲームでもあまりボールタッチできなかったし、合格はむずかしいだろうなって感じていました」
塩山は、同じラグビー部のNO.8赤堀龍秀とともに、リコーのセレクションに合格。最初は面食らっていたが「内定をもらったすぐあと、秩父宮でのリコー対サントリー戦(2010年9月10日、ナイター)を観戦に行った。6点差(20対26)で勝てませんでしたが、最後まであきらめないすごく良いゲームでした。この舞台で、リコーの一員となってやりたいと強く感じました」。
1年目のシーズンは、身体づくりのシーズンになった。
「レベルの差? それは感じましたよ。最初は吹っ飛ばされまくり(笑)。コールの出し方も、学生だった自分たちが考えていた自己流とは違う。プッシュディフェンスなどを仕掛ける際の組織としての動きも。必死に食らいついた1年でしたね。本心を言えば、試合に出るイメージは持てなかった」
冷静な自己評価だが、そこで止まっているつもりは毛頭ない。
「でも、徐々に慣れてきたという実感はあります。いつ頃? 東芝とのサテライトリーグですかね(昨年12月4日。先発出場し、後半15分頃までプレー。1トライを記録)。手応えを感じました」
合格時、「特にコメントはもらっていない。何が評価されたのかはわからない」と話す。だが、強豪校とは異なる環境で、自らを、自らの意志で磨き続けたこと。キャプテンとしてチームに高い志を共有させたことは、塩山が誇ってよい経験であり、評価につながったことは間違いないはず。トップ4、さらに先の"新しい歴史"を見据えて挑み続けるリコーに、塩山のような選手が持つメンタリティは不可欠とも言えるからだ。自信を得て挑む2年目のシーズン。成長した塩山の大きな飛躍に期待したい。
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