第27弾:選手がみせた、その横顔 17
Inside the RICOH BlackRams
2012.01.13
リコーブラックラムズ(リコーラグビー部)を支える選手たちの、ラガーマンとしての思いや、これまでのキャリアに関するエピソードをご紹介します。リコーというラグビーチームは、彼らの個性と歩んできた道程、積みあげてきた経験が混ざりあって、今の姿があります。
僕にできないプレーはたくさんある。だから、できることを突き詰めるしかない(川上力也)
「後ろの席だった小堀(正博/現・横河武蔵野アトラスターズ)君に、体験入部に行こうって誘われたんです」
受験を経て国学院久我山中学に入学した川上は、野球部に入るつもりでいた。ところが、高校は甲子園の常連の同校だが中学には野球部がなかった。どうしたものかと思っていたところへの誘いだった。
「父は落語研究会出身。聞いたことはないですが、母も運動をやっていなかったはず。身内や知人でラグビーをプレーしたことがあったり、くわしい人はいない。小堀君と会わなければ、今の道に進んでいなかったかもしれないですね。体験入部に行くと、すぐ先輩方に囲まれて。『入るよな?』って(笑)。
当時は身長150cm台。でもポジションがなかったのでLO。ラインアウトで飛ばないLO(笑)。器用じゃないし足もあまり速くなかったので、バックスという話はなかったんですよ。
高校では、3年間やっていなかった野球を再開しても試合に出られる可能性は低いのはわかっていたし、まだラグビーを続けるほうがいいのかなと。今思えば割と消極的な決定でしたよね(笑)」
縁には恵まれていた。
「中学のときは小堀君、高校では一つ下の才能ある後輩たちとの出会いがありました。今、チームメイトの伊藤雄大君を筆頭にね(笑)。彼らの力を得て花園ではベスト4まで進めました。
早稲田大学では2年のときに清宮克幸監督が就任し、在学中は大学選手権で優勝を争い続けることが出来ました。卒業後はトップイーストの日本航空でプレーしていたところを、大学時代のコーチでもあり、当時現役選手に復帰されていた佐藤友重さんに声をかけて頂き、リコーへ入社することになりました。
出会いをきっかけに、一歩ずつ前に進んできた感じですね。ラグビーを始めてからずっと。大学時代は自分がトップリーグでプレーできるとは思っていなかった。恵まれてますよ」
鋭く、低く、どんな大きな相手でも臆することなく止めにいく。川上といえば、なんといってもタックルだ。今シーズンも、同じFLで早稲田の後輩でもある覺來 弦とコンビで献身的なプレーを繰返す。本当に胸を打つプレーの連続だ。試合を終えて、真っ赤に顔を腫らし、誰よりもジャージを汚してロッカールームに戻ってくる川上。トップリーグでは、ここまで自身を出し切らなければ、勝負にならない場であることを実感させられる。
出会いを引き寄せ、周囲から支えられてきたのも、川上が全力でプレーする姿勢を保ち続けたことが、前提にあったからだろう。
グラウンドでの存在感とのギャップからか、体格についてもよく注目されてしまう。身長171cm。トップリーグでプレーするFLとしては確かに小さい。
「ラグビーを始めたときから小さかったですからね。できることは限られていますよね。僕にできないプレーはたくさんある。だから、できることを他人以上に突き詰めてやるしかないんです。
それから、ラグビーは15人でやるスポーツですから、そこでどんな役割を果たせるかが大事。チームプレーに徹して、1×15=15ではなく、16や17にするような働きを心掛けています。 そういう意識を持ってプレーしてきたから、試合に出るチャンスをもらえてきたのかなとは思います」
自分より皆大きな選手ばかり。膝が当たるのも恐れない低さでタックルを繰り返す姿を見ていると、怖さを感じる心が少々麻痺してしまっているのでは? と思ったこともある。
「いやいや。自分は怖いもの知らずというタイプではありません。シーズン当初、いきなり試合をやるとなると、とっても怖いですよ。練習して、これなら大丈夫だという『型』が身体に染みついて多少怖さはやわらぎますけどね」
川上の低く突き刺さるタックル。それは努力を繰り返して得た、自信を発露させて繰り出す"技"なのである。