第26弾:選手がみせた、その横顔 16

Inside the RICOH BlackRams

2011.12.26

 リコーブラックラムズ(リコーラグビー部)を支える選手たちの、ラガーマンとしての思いや、これまでのキャリアに関するエピソードをご紹介します。リコーというラグビーチームは、彼らの個性と歩んできた道程、積みあげてきた経験が混ざりあって、今の姿があります。

存在が消えかかっているのに、期待してくれる人がいた。あきらめることなんかできない(池上真介)

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「真介さん! 頼みます!」

タッチラインから5~10m程度の細長いエリアに、ハーフウェイラインを挟んで選手数人が分かれ、スペースを狙いキックを蹴りあう。ボールを弾ませ相手を抜けば「1点」。ゲーム性を採り入れ、楽しみながら技術を磨く、全体練習後にバックスの選手が自主的に行うにぎやかで楽しげな練習がある。

そこに、池上真介にボールの処理を託す声が響くようになった。復帰を実感する風景だ。

「チームのみんなとラグビーをしたいという思いでリハビリをやってきましたからね。改めて、グラウンドでプレーできる喜びを噛みしめています」

2000年代中盤に黄金時代を築いた早稲田大学でCTBとしてプレーし、リコー入社1年目の06-07シーズンから、WTBとして先発メンバーに名を連ねた。3年目の08-09シーズンは、地域リーグ・トップイーストからトップリーグへの復帰を目指し奮闘。日本選手権など大一番にも出場し存在感を示した。手ごたえを得て、トップリーグでの飛躍を誓っていた矢先に、池上をケガが襲った。

「膝の半月板を痛めました。09年の4月のシーズンが始まる直前。トップリーグに上がったということもあって気張って練習していたら、ちょっと地面が濡れていて、そこで滑って、パキっといってしまった。もともと膝は良くはなくて、半月板には亀裂が入っていました。結局、それまでに蓄積されたダメージが表面化したんですよね。

それで、病院の先生に内視鏡で膝を診察してもらったら、膝の軟骨面もかなり傷んでいることもわかって。『ほっといても大きな痛みにつながる』ということで軟骨の移植手術も行うことになりました」

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 多くの症例のある手術ではなく、ならうべき事例は少なかったという。

「リハビリで無理をしてしまったんです。がむしゃらで、なんでも100%で、というタイプ。メニューをこなしそれ以上もと考えてしまった。どのくらい追い込んでいいのか、わからなかった」

また軟骨に同じような症状が表れる。最初の手術から1年がたった頃、再手術が決まった。心が折れないほうがおかしい状況を支えたのは、仲間と周囲の励ましの声だ。

「同じ膝のリハビリを一緒にやった、リコーの先輩・齋藤 敦さんと、無理はしすぎないように声をかけあいながら取り組んだのは印象に残っています。一緒にリハビリに取り組んだ仲間は、常に心の支えでしたね。

それから、いつもグラウンドで声をかけてくれるファンや社員の皆さん、友だち、僕が出ない試合でも毎試合観に来てくれていた両親。周囲にも支えてもらっていました。

あきらめかけたことは一度もない。2年も試合に出ていなくて、存在が消えかかっているのに、自分に期待してくれる人がいる。それなのに自分があきらめられないですよ。何が何でも、もう一度グラウンドを走り回る姿を見せると決めていました」

2度の手術を経て、池上は自分の身体と向きあう癖をつけた。

「これくらいの痛みだったら、これくらいやっていい。こういう感覚がある日はやめておこう。気がつくのが遅いですけどね(笑)。あとは一日一日、一回一回の練習を大切にする気持ちは、以前に比べれば増しました。ただ、空回りしているところもあるかなぁ。思いは強いけれど、感覚的な部分で戻っていないところもある。いっぱい、いっぱいになってしまって、いい判断ができなかった……」

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 グラウンドに戻って来たことを喜ぶ段階はとっくに過ぎ、かつて以上の自分を取り戻すという目標へと、テーマは移っている。

「かわいがってもらってきた」という、2つ年上でともにバックスラインを形成していた先輩、CTB金澤良、FB小吹祐介らはリコーを背負って立つ世代に成長した。早稲田でプレーした仲間も、多くがトップリーグで中心選手として活躍している。「もう一度同じ舞台に立つ」ことが現在の大きな目標だ。

ラグビーでは、どんな強者でも自陣に押し込まれる時間はあるものだ。そこを我慢して、ペースを握りなおせるかどうかが、強さであったりする。池上は十分に我慢し、ラグビー人生における"ターンオーバー"を果たした。今度やってくるのは、持ち味同様力強い"ラインブレイク"に違いない。2年間の池上を見守ってきたすべての人が、その瞬間を待ち望んでいる。

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