第24弾:選手がみせた、その横顔 14

Inside the RICOH BlackRams

2011.12.13

 リコーブラックラムズ(リコーラグビー部)を支える選手たちの、ラガーマンとしての思いや、これまでのキャリアに関するエピソードをご紹介します。リコーというラグビーチームは、彼らの個性と歩んできた道程、積みあげてきた経験が混ざりあって、今の姿があります。

父として、息子として(山本健太)

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 山本健太は単身赴任中だ。

「これから学校に通うようになる子供たちが、僕の所属チームが変わることで、友だちと離れたりするのはかわいそうだと思って。僕と妻の共通の故郷である栃木に生活の拠点を置きました。妻と5歳の長男、2歳の長女と今年生まれた次女は栃木に、僕は、東京世田谷のリコー総合グラウンド(砧グラウンド)のそばに、部屋を借りて住んでいるんです」

リコーはトップリーグで3つめの所属チーム。次女が生まれたのを機に、今の生活スタイルにしました。春から夏にかけては、練習が休みの日は栃木へ。トップリーグがはじまれば関東で行われる試合には妻と長男が観戦に訪れるので、このタイミングで会っている。家族と離れて暮らしているが、父親の存在感はバッチリだ。

「保育園で将来の夢を話す機会があったらしいんですが、5歳の息子はラグビー選手になりたいと言ったそうです。園でひとりだけだったらしいんですけどね」
山本はうれしそうに笑うが、そこには工夫があった。

「息子が3才になった頃、自分のラグビーのプレーを観せました。『みんな同じユニフォームで、どの人がパパなのかわからない』と言われました。それで、息子でもわかるように髪型を変えたんです」

長髪でウェイブのかかった山本のトレードマークでもある髪型は、こうして誕生した。
「最近は背番号の見分けがつくようになってきた」らしく、そうした必要もなくなってきているというが、グラウンドの"長髪"を必死に探しながら、5才の息子はラグビーに憧れるようになった。その眼差しを思えば、父として、選手として、力が湧いてこないはずがない。

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 山本のお父さんもラガーマンだった。

「僕も一度小さい頃に、地域のチームでプレーをしているのを観たことはあるんですけどね(笑)。自分がプレーするとは想像したことも無かった」

中学まではサッカー部に所属し、ゴールキーパーとして活躍。地元栃木のサッカー強豪校・作新学院への入学を決めた。
「そこでレギュラー争いをしていました。ところが、今と変わらないぐらいの体格(約190cm)だったので目立ったんでしょうね、ラグビー部の監督が誘ってくださったんです。それはもう一年間ずっと。顔を合わせるたびにラグビーを一緒にやろう、と声をかけてくれて」

ラグビーに興味を持ち始めた山本は、父に相談した。ところが、父は「続けて来たことを最後まで突き通せ」と、サッカーを続けるように諭したという。それもあって、最初はサッカー部の練習が終わってから、ラグビー部の練習に顔を出すという控えめな参加で始まった。が、山本のラグビーの才能はすぐに開花する。

「監督に『お前なら高校日本代表になれる』って言われ続けていた。僕とラグビーは、父がやっていたスポーツというだけの関係で、ルールすら知らずに始めたし、日本代表のレベルもまったく知らないけれど、そんな簡単に入れるわけがないだろうって。それが、言われているうちにだんだん暗示にかかってきて…(笑)」

山本は本当にラグビー高校日本代表となった。卒業後は大東文化大学へ進学。ちなみにリコーには同校出身の同期として相亮太、生沼知裕と近いポジションのメンバーがいる。
「監督は最初同じポジションの選手が同じチームに行かないよう気を遣ってくださったんですが、同じリコーに揃ってしまったんですね」

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 山本がトップリーグの舞台で活躍するようになって、山本のお父さんは本音を話してくれた。

「自分がラグビーをやってみたいと伝えたとき、本当はすごくうれしかったみたいです。でも、教育上、よそ見はするべきじゃないと、サッカーを続けるよう言ったと。それを聞いたときは、ラグビーやってよかったなと思いました。多少は親孝行になっているのかなって」

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