柳川大樹選手 公式戦通算100試合出場記念「無事是名馬」
2024.02.15
12月23日におこなわれたNTT JAPAN RUGBY LEAGUE ONE 2023-24 第3節 埼玉ワイルドナイツ戦にて、柳川大樹選手(2011年入団)がトップリーグ/リーグワン通算100試合出場を達成しました。
100試合を記念して、入団当初より柳川選手を見てきたチームライターに初出場試合から今までの軌跡を振り返っていただきました。当時の写真とあわせてぜひお楽しみください。
物怖じしないルーキー、開幕スタメンで躍動
2023年12月23日土曜日。快晴ながら強い風が吹いた熊谷でのリーグワン第3節・埼玉ワイルドナイツ戦で、入団から13シーズン目を迎えているLO/FL柳川大樹が、公式戦通算100キャップを達成した。
柳川のファーストキャップは入団から7ヵ月、2011年10月29日の福岡サニックスブルース戦。リーグワンの前身となるトップリーグの2011-12シーズンの開幕戦だった。その日については記憶がある。会場の秩父宮ラグビー場では当時、入場ゲートの脇にあったテニスコートがウォーミングアップのスペースにされていたが、そこで初先発をつかんだルーキーの表情を見ようと待っていたからだ。
だが、1人また1人と選手が集まってくるものの柳川はやってこない。結局、今と比べ少しスリムな体型だった柳川がテニスコートに入ってきたのは、全体でのアップが始まる間際で、全メンバーで最後の登場だった。聞けば「テープを巻いていたんですよ」とのこと。百戦錬磨の先輩たちが続々とロッカールームから出ていこうとも、ルーキーが自分のペースで準備を整えている姿を想像すると、なんだか頼もしく感じた。そのいい意味でのマイペースさは、今に至るまで変わっていないような気がする。
なお、この試合の柳川はFLとしてフル出場。勝利を決めるSOタマティ エリソンのトライを引き寄せるラインブレイクなどを見せ、しっかりと起用に応えた。
▲当時のスターティングメンバー表には懐かしい名前が並ぶ。
▲右から7番目が柳川大樹選手。
▲実はこの時、指を骨折していた。
柳川が加入した2011年のリコーブラックラムズ(当時)は世代交代期にあった。FWではミスターリコー・田沼広之(現アンバサダー)も2009-10シーズンに引退。選手層を厚くするべくキャリアのある選手の獲得が続く一方、才気溢れる若手選手たちも元気で、年長者たちに挑んでいく構図が存在した。柳川はその若手側の筆頭といったイメージだった。
個人的に、年齢を重ねた今もあまりベテランという感じがせず、“ノリのいい若手”の空気をまとった選手に見えてしまうのはそのせいかもしれない。そこには、どこか無邪気で、シリアスになりすぎず、記者たちの少々込み入った質問も笑顔と「また頑張ります!」といった言葉で乗り越えてしまえる、あっけらかんとした個性も関係していたように思う。
今でこそFWとBKの区別なく、フィジカルで泥臭いプレーがチームの個性となったブラックラムズ東京だが、当時はBKのスピードや展開力が先行して紹介されることが多かった。そこから、FWが着実に力をつけタフなチームへと成長していったと記憶している。フィットネス、リアクションスピード、ワークレートといった要素にこだわっていたチームに、高身長ながら機敏で、アタックセンスがあり、どんなゲームでも物怖じしない性格の柳川はフィットした。ルーキーながらリーグ戦13試合中11試合に出場(先発7)し、7位という成績に貢献した。
その後は肩の脱臼というキャリア最大のケガを経験しながらも、着実に力をつけていく。首や肩のあたりのシルエットは年々ゴツくなっていき、それに比例してピッチでのプレーには強さや激しさも加わっていく。LOやFLだけではなくNO8として出場することも増えていった。
(いずれも2011年10月29日 福岡サニックスブルーズ戦より)
元気印・柳川大樹がつくりだしてきた空気
ラインアウトのリードや接点でのハードワークも当然記憶に残っているのだが、ゲームでの柳川で思い出すのはトライだ。決して数は多くはないが、印象的なものがいくつかあった。ひとつ挙げるなら2016-17シーズンの第4節・キヤノンイーグルス戦(現横浜キヤノンイーグルス)でのものか。
一時は8-20とリードを許す苦しい展開となったゲームの後半18分、ゴールまで10mほどの位置のラックからのアタックで、ディフェンスを引きつけたLOマイケルブロードハーストのパスを受けた柳川は、鋭く抜け出し右中間インゴールへ。会心のトライを決めると雄叫びをあげボールを高く放り投げた。“事務機ダービー”ということもありいつも以上に熱を帯びていたスタンドは、社員選手・柳川のトライでさらに熱狂した。チームはここから流れを引き寄せて逆転勝利。柳川はマンオブザマッチにも選ばれた。
▲前から3列目・左から2番目が柳川大樹選手。
▲会心のトライを決めて雄叫びを上げる。
▲マンオブザマッチの表彰を手に満面の笑顔、これぞ元気印。
このシーズンの柳川は絶好調で、リーグ戦全15試合に出場(先発11)。LO/FLマイケル ブロードハーストや馬渕武史、ロトアヘアポヒヴァ大和、ルーキーだったFL/NO8松橋周平らとともにフィジカルでタフなプレーを繰り返し、6位(8勝7敗)に入る躍進に貢献。チームに眠っていたDNA=“泥臭さ”を目覚めさせ、結果につなげたシーズンとなった。シーズン終了後には日本代表に選ばれ、アジアラグビーチャンピオンシップの韓国戦で代表キャップを獲得した。
(いずれも2016年9月16日 キヤノンイーグルス戦より)
もうひとつは記憶に新しいところで、昨季(2022-2023シーズン)の第6節クボタスピアーズ船橋・東京ベイ戦でのトライだ。7-24とリードを許していた前半36分、敵陣10m付近で、飛び出してきたディフェンスの裏にうまく抜け、SOアイザック ルーカスからパスをもらって加速。パスダミーを入れて相手BKをかわすと、そのまま中央にトライ。キレとアタックセンスを改めて印象づけた。
この試合も、チームはここから反撃し一時は逆転に成功。柳川の好プレーがつくりだす空気には、チームを勢いづける何かがあるような気がする。
(いずれも2023年1月29日 クボタスピアーズ船橋・東京ベイ戦より。この日はクラブキャップ100を迎えた)
100キャップを記録した試合に戻ろう。試合終了後、メンバーやスタッフが着用した記念Tシャツには、柳川の座右の銘「無事是名馬」という言葉がデザインされていた。「無事是名馬」とはご存知の通り、抜群の能力がある馬だけが名馬なのではなく、そこまでの能力はなくとも、不調が少なく求めに応じて走りきってくれる馬もまた名馬なのだという意味の格言である。
この言葉で思い出したのは2022年、リーグワン初年度のことだ。チームに故障者が続出し、FWも危機的な状況にあった。そんな中で柳川は開催された全12試合に出場(先発11)し、苦しい戦いを余儀なくされたチームの支柱となった。描いていたような戦いができず、なかなか状況を好転させられないチームの雰囲気はどうしたってよくはなかったが、柳川は動じず“名馬”として走りきった。フラストレーションをためず、今の自分たちの全てを出しきることに集中しチームにレジリエンスをもたらしていた。その点では、厳しい局面を戦ってきた経験をしっかりとチームに提供するベテランだった。
セレモニーを終え、ミックスゾーンに現れた柳川は「(100キャップは)あっという間だった」と感想を述べた。「BR東京というチームは、自分に合っていたと思うか」と問うと即答する。
「合っていたと思います。なぜか? 勢いがあるチームなので。試合なんかでも」
ラグビーにおいて勢いは不可欠だ。勢いを奪い合うスポーツといってもいい。だが、当然勢いだけで勝ち続けることはできないから、我慢や理性や計算といったものを随所に織り込んでいく必要も出てくる。そのバランスをどうとるかは、チームのカルチャーやスタイル、目指している目標などが関わってくる。
2021年まで指揮を執った神鳥裕之前監督は「練習で同じくらいのパフォーマンスを見せている選手がいたら、若い方を試合に出そうと思っていた。迷ったら若い方を選べと自分に言い聞かせて」とよく話していた。
ピーター ヒューワットヘッドコーチは、選手・コーチとして外からブラックラムズを見ていたとき、才能を秘めた若い選手たちが生き生きとプレーしている姿に好感を持ち、「いつかヘッドコーチになれたら、こういうチームを指揮してみたい」と思っていたという。
コメントから伝わってくるのは、BR東京というチームが、若さとそれがもたらす勢いに重きを置き、失敗を恐れない姿勢を大切にするチームであるということだ。そんなチームだったからこそ、柳川は成長を続け、100キャップを積み上げることができたようにも思える。
ケガがつきもので、年間13〜16試合というフォーマットで行われるリーグで、100試合出場を達成するのは大変なことだ。その地道な歩みの中で感じた、自分自身の変化について聞くと、こんな答えが返ってきた。
「練習をしているとき、コーチが求めていることが以前よりもわかるようになったというか、感じ取れるようになってきたとは思います。自分に対すること。チームに対すること」
ベテランらしい言葉だ。では、今のチームに求められていることは? 続けて聞く。
「えっ、難しい。かっこつけたけど(笑)」
もちろん、とぼけてみせたのだろう。が、もしかすると違うのかもしれない。柳川は柳川。飾らぬ姿でこれからも走り名馬を目指す。次の目標は150試合だ。
文:秋山健一郎(一部 ブラックラムズ東京加筆)
写真:川本聖哉