~ラグビーW杯2015を終えて~ バーナード・フォーリー編
2015.12.19
ラグビーワールドカップ(RWC)に出場した選手へのインタビュー企画第3弾は、スーパーラグビー・ワラタスの中心選手で、ワラビーズ(豪州代表)のスタンドオフ、プレースキッカーとして、イングランド、ウェールズを破っての「死のグループ」の突破、さらにはファイナル進出に大きく貢献したバーナードフォーリー選手です。
ワラビーズのファイナル進出は、僕にとってはサプライズではない。
−−まずは印象的な活躍を見せたRWCのお話からうかがいます。
まず、1ヵ月が経った今でも、振り返ると感情が高ぶりますね。世界的な、大きなイベントに深く関われたことは誇りに思います。
ワラビーズがファイナルにいったことに驚いた人はたくさんいたと思いますが、個人的にはサプライズだとは思いません。しっかり準備してきていましたので、やれる自信はありました。だからファイナルまでいけたのだから満足だ、という思いはありません。悔しさが上回っています。いい試合もたくさんありましたし、いいチームに参加できたことはうれしいのですが、最後の試合で負けてしまったので悔しい思い出になっていますね。あと1試合足りなかった。最後のハードルでつまづいてしまった。
−−過酷なグループを勝ち抜いたのも鮮やかでした。イングランド戦では2トライを挙げる活躍もありました。
僕たちは目の前の試合に、1試合ずつ勝っていこうとしていました。プール戦ではありましたが、1試合でも負けたら終わり、ノックアウトゲームのようなつもりで戦ったのが良かったんだと思います。ラグビーが生まれた国であるイングランドに勝てたことは、オーストラリア人として誇りに思います。
−−キャリアにおいてRWCへの出場は大きなターゲットだった?
5、6歳でラグビーを始めて以来、1番高い目標としてはありました。ずっとね。でも学生時代は、プロのラグビー選手になれるかどうかもわからない状況でプレーしてきたので、ワラビーズでのプレーというのは夢みたいなもの。だから坂道を一歩一歩に登って振り返ったらいつのまにか高い場所に来ていた、つまりワラビーズの一員としてRWCに出場していたというのが実感です。
−−今回の活躍で、自らの意識や周囲の環境は変わりましたか?
僕自身は変わっていないですよ。ハードワークも続けています。今回のRWCでハードワークが結果を生むと改めて確信できたし、それを励みにしてこれまで以上に頑張れています。ただ、イングランドからオーストラリアに帰国して、日本に出発するまで、4日間だけシドニーに滞在したのですが、出かけたときに声をかけられたりすることは増えたかな。まあ、それは僕が認知されたというよりも、オーストラリアのラグビー熱が全体的に高まったってことなんだと思いますが。
次のRWCに向けた4年のスタートを、日本で切りたかった。
−−日本でのプレーは、いつ頃から考えていたのですか?
常々ラグビーユニオンの素晴らしさは、ワールドワイドなスポーツであるところにあると思っていました。プレーで認められチャンスを掴めば、自分の知らない海外の国々の文化に浸り、新しい言葉を学んだり、新しい友達をつくりながらラグビーができる。オーストラリアンフットボールやラグビーリーグだと、残念ながらそこまでの広がりがない。人生を歩んでいく上で糧となる様々な経験ができることがラグビーの魅力の1つだと思っていましたので、ゆくゆくは海外に出たいと思っていました。
それで去年の年末か年明けくらい。スーパーラグビーが開幕する前にいくつかのチームから話がありました。当時は初のRWCを終えた後、次のRWCに向けた4年間をどう過ごすかを計画していて、その第一歩として日本でのプレーを選んだんです。
日本のラグビーについては、過去に日本でプレーしたことのある選手から話を聞きました。すると日本のラグビーのレベルはここ数年で上がっているということでしたし、展開の速いクイックなラグビーを体験することは、僕にとってもいいチャレンジになると思いました。また日本の選手たちの考えを聞く一方で、僕が持っている知識を提供し互いに関係を築いていく経験は、これからの自分のキャリアに生きると考えたんです。そしてそれはワラビーズにも還元できると思いました。
実際にチームに合流して、リコーのメンバーの練習や試合に向けた準備、チームへのコミットメント(責任感、帰属意識)、トレーニングに対する姿勢や、ラグビーへの情熱などには学ぶところが多くあると感じています。
−−話を聞いたのはワラビーズでコーチを務め、リコーのアドバイザーでもあるスティーブンラーカム氏などでしょうか?
バーニー(ラーカム)にも聞いたし、スーパーラグビーで対戦したときにタマティ(エリソン)にも聞きました。ワラタスでプレーしてきたミッチェルチャップマン(2011-13にNTTドコモでプレー)やジャック・ポトヒエッター(宗像サニックス)からもいろいろと教えてもらいました。
頑張りが足りないわけでも、コミットメントがないわけでもない。わずかな差を修正すればいい戦いができる。
それで、彼らの話を聞くと、リコーでラグビーをやることが魅力的に映りました。リコーにはダミアン(ヒルヘッドコーチ)がいたのも大きかったですね。彼は僕がシドニー大学に入学したときのラグビークラブのコーチで親交があったんです。ちなみにダミアンの後任が、かつてリコーでヘッドコーチを務めたトッドローデン氏でした。彼にもシドニー大時代に指導を受けています。あとはマア ノヌーやジェームス ハスケル(ともに2011-12シーズンにリコーでプレー)のような選手がプレーしたチームであるというのも決断を後押ししたと思います。
それにバーニーやタマティが教えてくれた、素晴らしい日本人スタッフや施設、立地などもリコーでプレーしたいと思った大きな要因でしたね。リコーという企業も、関係を持たせてもらう上で非常に魅力的でした。ワラタスもスポンサードを受けていて、今シーズンはユニフォームの肩のところにリコーのロゴをつけてプレーしていましたしね。
−−ヒルヘッドコーチのコーチングは、当時と現在で通じる部分はありますか? リコーではまずディフェンスからチームをつくってきましたが。
僕が指導を受けた時から時間が経っているので更新されている部分もありますし、チームにいる選手の適性に合わせて方針は変わっていますが、コーチングの軸は同じだと思いました。ディフェンスは保険です。トライは優れた選手の1人の力で獲れてしまうこともありますが、ディフェンスはチーム全員でやらないと機能させることはできない。正しいディフェンスシステムをつくって、選手同士の信頼感を上げていくことが大事になってきます。ただ、今シーズンの序盤数試合はそこに改善の余地があるように映ります。
−−例年以上に失点がかさみ、厳しい状態にあります。
選手たちの頑張りが足りないとは思いません。コミットメントがないわけでもないと思います。コーチたちから求められたことには真摯に取り組んでいます。他チームとの間にあるのはすごく小さな差。ほかのチームが段違いに強くて負けているわけではないと思います。ただ、小さな差が大きな打撃につながっている。それを確実に修正すれば試合でもっとチャレンジできるし、競争力も上がります。当然勝つこともできる。
まずはエラーの数を減らすこと。ハンドリング、特にキックキャッチのエラーを減らしたいですね。そうすれば相手にもっと脅威を与えられます。あとは先ほども言ったディフェンスのシステムへの信頼度を高めるところ。今も信頼して守っていると思いますが、ここからさらに上げたいところですね。
−−勝利を待ち望んでいるファンの方々のためにも、ぜひ巻き返しを。
大きな声を出して応援してくれていますよね。なかには毎試合来てくれる人までいるよね。彼らの声援に応えられるように頑張ります。
フレンドリーなメンバーのサポートを受け、ラグビーを楽しめています。
−−今年は、スーパーラグビーを戦った後にRWCでファイナルまで戦い、間をおかず日本という新しい環境でラグビーをされています。1年中緊張状態が続くシーズンだと思うのですが、それを感じさせませんね。
そうですね。今はRWCのプレッシャーから解放されてリフレッシュされた状態。またラグビーの楽しさを味わえていますね。
僕はシドニーで生まれ育ち、シドニーの大学に通い、プロになって所属したのもシドニーのチーム。遠征はたくさん経験してきたけれど、シドニー以外の場所に住むのは実はこれが初めて。しかも1人で来ています。そんな僕を気遣ってか、チームメートはみんな積極的に声をかけてくれて、食事にも誘ってくれるので楽しくやれています。日本食は寿司、ラーメン、焼肉などいろんなものを食べたけど、今のところ口に合わなかったものはないです。それも快適に過ごせている理由かもしれないですね。ただ、どんなメニューにも必ず御飯と味噌汁がセットで出てくるんだね。あれは少し不思議。
−−印象的なキャラクターの選手はいますか?
小松(大祐)かな。彼はよく面白いジョークを飛ばすよね。それでいてボールを持たせれば素晴らしいボールキャリーをするし、強いフィジカルでディフェンスでもしっかり仕事をする。いいプレーヤーです。リーダーの野口(真寛)も積極的に声をかけてくれます。ただ彼は僕に悪い日本語を教えてくるので気をつけないといけない。
−−なかなか時間はとれないかもしれませんが、日本でしてみたいことはありますか?
戦争に関するミュージアムに行く機会をつくりたいと思っています。富士山も見てみたい。あとはディズニーランドかな。オーストラリアにはないんですよ。
−−今日はありがとうございました。
SO バーナード・フォーリー(Bernard Foley) プロフィール