ジョエル・ウィルソン選手 インタビュー
2008.09.05
ぽーん、とボールが蹴り上げられる。ハイパント。
ジョエル・ウィルソンは落下点に猛然と駆け込み、飛ぶ。待ちかまえる相手選手にはおかまいなし。上空。前足の膝を高く上げる。鈍い音。胸で楕円球を囲い込んだときには、競り合った相手を蹴散らしている。
通称ジョエル。今季リコーブラックラムズに入団したこの男は、激しさをモットーとする。守備でも相手の持つボールめがけて突っ込み、肩をぶつける。「相手を見ずにボールだけを見ているのでは」。彼のプレーをそう捉える関係者もいる。
プレーの礎は負けん気だ。「フィールド外ではアグレッシブな人間ではないんですけど、スポーツしている、ラグビーをしているときは負けたくない」。それこそ激しさが売りのラグビーリーグ・ノーザンイーグルス、スーパー12(当時。現在のスーパー14)の強豪ブランビーズ、そして日本の神戸製鋼コベルコスティーラーズでプレーしてきた31歳は、さらりと言った。
ちなみに「フィールド外では」の件も間違いではない。8月12日。自身のキャリアとラグビー観を語るジョエルは、優しい眼をしていた。
――ラグビーを始めたきっかけは。
「友達がプレーしていた。7歳から8歳くらい。マジー・ウォンバットというチームでした。(実際に始めてみて)面白いなと思いました。キックを上手くできたんで、楽しかった」
――今のプレースタイルを築いたのはいつごろからですか。
「19歳くらい のころかな。今のスタイルになったのは。意識してというわけではなく、自然と今のようになっていきました。
――ハイパントの競り合いや守備でのアグレッシブさも、自然と。
「他の部分はコーチングでどうにかなるけど、激しさだけはどうにもならない。アグレッシブさは生まれついた性格から来ていると思う」
――どうして、グラウンドに入るとスイッチが入るんでしょうか。
「自分のトイメンをイメージして、そのトイメンとの闘いイメージする。『勝たないといけない』と。1対1 の闘いを常に考えるんです。『トイメンに負けない』という気持ちを用意をしないといけません」
――そういう意味では、ラグビーリーグという環境はジョエル選手にとても合っていたのでしょう。
「リーグでは1998、1999、2000年と3年間プレーした。リーグはそれまでやったことがなかったけど、リーグ(ノーザンイーグルス)とブランビーズ、両方から同じ時にオファーが来たんです。決断するのに迷ったけど、結局はリーグでプレーして、ユニオンに戻ろうと決めました。結果的にその通りになるのだけど、そのおかげでリーグでのディフェンスなど、色んなことを学べた。今のプレースタイルへの影響も多いです。多分リーグに行かずにユニオンに行ったら、リーグに行けばよかったと後悔していた」
――リーグは激しさが魅力です。
「ユニオンよりもヘビーなタックルがあって、(ボール保持者は)ラインに向かってまっすぐ走り込んでくる。フィジカルなスポーツです。ユニオンでは色んな方法でエリアを獲得できるけど、リーグは真正面から当たってエリアを獲得するしかないのです(リーグではタックル6回で攻守交代。キックは事実上、攻撃権が相手に移るとピンチになる自陣の5回目の攻撃時のみ)」
――その後所属したスーパー12のブランビーズの魅力は。
「自分が成功しているチームで、フィールド上での成功した思い出が色々あります。また、選手とは家族同士でとても仲がよく、楽しい時間を過ごすことができた。ブランビーズがあったキャンベラは小さな都市。そういうこともあって、みんなが自然と近い存在になりました」
――ベストゲームには2004年スーパー12の決勝(対クルセーダーズ・2004年5月22日・キャンベラスタジアム・○47-38)を挙げています。
「プレッシャーがかかっていた。当時主将の(スターリング)モートロックがセミファイナルで早めに怪我をして、僕が彼のポジションに入ったから。ちょっとナーバスになったけど、最初の10分くらいで21点を取って、いい試合ができた。結果、2回目の優勝となった」
――日本に来たきっかけは。
「2003年にオーストラリアA代表として日本に行って大阪と東京で試合をしたんだけど、その時が楽しかった。それに(スーパー12優勝などで)オーストラリアでのゴールを成し遂げたので、日本でラグビーをしよう、と。所属チームが神戸製鋼になったのは、彼らがCTBを探していたからです」
――神戸製鋼では試合に出られないとき、ウォーターボーイを務めていました。助っ人としては珍しい。
「それは、僕が日本語を話せたからやっていた。確かに日本語が上手い? 言葉を覚えることは、その国に住んでいたら必要なことだと思う」
――リコーに移籍したのは。
「完璧に自分から進んでというわけじゃないけど・・・。リコーがトップリーグから落ちたことと、ブランビーズで一緒だった(スティーブン)ラーカムがいたこと。パンチョ(グレン・パノポ・元リコーFWコーチ)やトロイ(ジャックス・同)とも話して、自分にとっていい場所になると。トップリーグに戻ることが自分にとってチャレンジになると思ったんです。今、チームはとてもいい方へ向かっている。ベストなコーチングスタッフがいて、自分たちのゴールを成し遂げるために進んでいます」
砧グラウンド。ジョエルはしばしば、旧友のラーカムとともに若手選手の居残り練習を手伝う。
「自分にできること、与えられるものがあれば手伝ってあげたい。それが自分たちの役割だとも思っています。自分たちが強くなるために色んな情報を与えれば、チームは強くなる 」
若手への助言にウォーターボーイ、負けん気から生まれるハードなプレー。これらの共通点は、フォア・ザ・チームの精神である。選手同士が家族のようなブランビーズで栄冠を勝ち取った経験からか。隣の仲間と手をつなぐ重要性に、ジョエルは気付いている。
ただ、ひとつ。「ラグビーをしているときは負けたくない」という気質について。外国人選手と積極的にコミュニケーションを図るリコーの某若手選手が、こんな事を言っていた。
「ラグビーだけじゃなく、ゲーム(トランプなど)でも激しいですよ」
そう。きっとジョエルはラグビーのみならず、勝負事全般において負けず嫌いなのだ。
(文 ・ 向 風見也)