スティーブン・ラーカム選手 インタビュー
2008.06.02
オーストラリア(豪州)代表として通算102キャップ、99年のワールドカップ(W杯)で世界一に輝いた司令塔、スティーブン・ラーカムがリコーブラックラムズにやってきた。
好守のリーダーとなるスタンドオフ(SO)にワールドクラスの選手を――。チーム関係者がかねてから描いていた構想にドンピシャリのプレイヤーだ。ちなみに昨年秋にフランスで開催されたW杯でも日本戦に出場し、91対3の大勝に貢献している。
「以前から日本のラグビーの話は聞いていて、いつもプレーしたいなと思っていました。それから、自分の国に10時間で戻れることも大きな決め手になった。FWとBKが連動してどんどんトライをとるラグビーをリコーに持ち込みたいです」
4月9日、初練習からチームに合流。白眉はその普段の練習から早速見られた。
相手守備をぎりぎりまで引き付けてのパス、あるいは、そう見せかけての突破など、接点間際でのプレーの精度が際立つ。
敵が近ければ近いほどプレッシャーがかかり、視野が狭まる。その分判断力やプレーの質は落ち、選手によっては焦って中途半端なパスを放ってしまうこともある。しかしラーカムは、すべての局面で絶えず正解を選び、それを高いクォリティで表現するのだ。
シンプルかつ得がたいプレーで舵取り役を担わんとする、彼の原点は。
――ラグビーを始めたきっかけを教えてください。
「父がラグビー選手だった。クラブレベルで300試合ほどやっていて、それをよく観に行き、楽しんでいました。9歳から14歳まで、父が私の最初のコーチでした。自分もクラブにも行っていましたけど。(父のトレーニングは)そんなに厳しいこともなく、いつも楽しい感じでした」
――ラーカム選手にとって一番の思い出は99年W杯で優勝したことだそうですね。一般的には、組織が強くなる過程にはドラマがあると言われます。この時の優勝までの間、何かターニングポイントはありましたか。
「その時の豪州代表にはロッド・マックイーン(当時の豪州代表では、鉄壁な組織守備を構築した)というコーチが、W杯の2年位前からコーチとして呼ばれていた。2年間のチームを作る期間にしっかり積み上げてきた。あとは、ピークを正しい時期にもっていけた、というだけ。特に転機というものはありません」
――万全の準備とそれを発揮するためのコントロールという意味では、ラグビーのキャリアにおいて常に意識してきたことだと思います。そのなかでもこのW杯を『特別』とする理由はどこにあったのでしょう。
「W杯はラグビーの頂点です。近くで開催していたこともあったけれど、W杯で優勝したのもこのときだけ。決勝戦の後、私はロッカールームに座っていて、反対側にロッドがいました。他の選手はシャワーを浴びたり、違う部屋にいたりと、別のところにいて、ロッカールームは2人だけ。静かでした。だからその時は色々と思い返せて、すごくいい気分になれたんです」
――その間、マックイーンさんと話は?
「ノン。静かでした」
――ロッド・マックイーンさんとはどんなコーチだったのでしょうか。
「マネージャーのようでした。他のコーチをマネージメントしながら、全体を見渡していました。試合にはビジネス的なアプローチをしていました。ミーティングをとにかく沢山やりましたし、物事にタイムリミットを作っていました。そして、全員が同じ考えのもとでできたこともポイントでした。(マックイーンは)人と接するのが好きなほうで、選手をよく知ろうとするところがあったんです」
――ラガーマンとして大切にしていることは何ですか。
「自分が一番大事だと思うことは、楽しむこと。そのためにチームメイトと仲良くなる、いい友達になるのは大事だと思っています。ラグビーを始めた時のことで覚えているのは、とても楽しく、フレンドリーなグループだったということ。ラッキーだったのかもわからないけど、そういうチームで成功してきていた」
――では、SOとして大切にしていることは。
「コミュニケーションです。(SOは)FWとBKのリンクになるケースが多く、攻撃でも守備でもFWと話す機会も多いですから」
――FWとBKのリンクができていないチームには、どんな問題があるのでしょうか。
「まず、正しいゲームプランが必要で、その(プランを試合で遂行する)ために、上手くトレーニングをしなければいけない。それを踏まえて、試合でリンクが悪いとなれば、SOの責任になるのかなと思います」
――SOを中心に、綿密なゲームプランを高いレベルで共有することが、重要。
「(日本語で)ソウデス」
――接点間際での精度の高いプレーについてもお聞きします。
「集中しているポイントは、自分のところへ来る守備の動きを(自分の手前で)止めること。どこのチームもドリフト(内側から外側へ流れ、相手攻撃をタッチライン際へ追いつめる組織守備)を採用していますが、その流れを止める、と。そのために、いつもではないけれど敵の目の前までボールを持っていくのです。
(そうしたプレーができるようになるには)可能な限り試合に近い練習をするべきだと考えています。コンタクトは怪我を招くことがあるので、コンタクトなしで、試合のシミュレーションをするといい」
練習でできないことは試合でもできない。だから普段の練習から試合同様のプレッシャーをかけ、試合でできるプレーの幅を広げる。ワールドカップでもトップイーストでも、おそらく少年ラグビーでも同じことだ。
――「スター選手」ということで、周囲が一歩引いてしまう事はありませんでしたか。
この問いにも、ラーカムはこう答えている。
「少しあったとは思いますけど、今は慣れてきた。だから友だちになることが大事なのかな。私もみんなと変わらないんだよ、と」
グラウンドの上においては皆が特別で、その意味では皆、同じ。それが、ラーカムをここまで成長させたラグビーの特性だ。
とはいえ、その経歴は事実である。「ラーカムが来ればすぐに強くなる」という外野からの希望的観測は当然、ついて回る。ラーカム自身がそう思っているのでは? こんな穿った見方も、少なからずあった。先の入団会見でも、あくまで本人の決意を確かめる意味で、こんな質問も飛び出していた。
――ニュージーランドのビッグプレイヤー、トニー・ブラウンも、三洋電機ワイルドナイツに来て日本一に導くまで、3年かかりました。あなたにそれだけの覚悟はありますか。
「変化には(多くの)時間がかかることは理解しています。それぞれスキルレベルが高い分、急に大きな変化は生まれないでしょう。いいラグビーができるよう、徐々にやっていきたいと思います」
その「徐々に」の過程に、シンプルを極めた接点間際でのプレーなど、今年のリコーは見どころが多い。
(文 ・ 向 風見也)